この言葉、以前よく言ってた時があって。
今は言ってなかったのですが、たまたま愛先生が、
「はらいたまえ」は、ハタキで上の埃を下に落として、
「きよめたまえ」は、そのまま浄め(清め)たまえという事。
とおっしゃっていて、
思い起こした昔の記憶。
田舎のお仏壇、ハタキではたいていたおばちゃんの記憶が蘇って来て。
おばちゃんは、毎朝家中を掃除していて、床には何もない状態で掃除機をかけて、拭けるところは全部拭いて回って、家中の窓をあけて、空気を流して、毎朝シャワー浴びて、化粧して出掛けていた。
田舎のおばあちゃんの家、掃除しているのは見たことなかったけれど、いつもなんでも水で拭くから、水屋(みずやタンス・・・食器棚)が湿気て、水臭いってお母さんが言ってたっけ。。
おばあちゃんの代くらいまでは、ハタキで誇りを落として、畳や廊下を箒(ほうき)ではいて、床や窓を拭いて、いつも綺麗にしていたんだと思います。
確かに“ハライタマエ キヨメタマエ”は、そういう事だったのかと、腑に落ちました。
当時は、4人家族で、電気代は500円ほどだったそう。
今では、地方によりけりだけれど、10,000円前後。。。
掃除機、洗濯機、炊飯器、冷蔵庫、お風呂、ドライヤー、電子レンジ、クーラー、テレビ、スマホ、パソコン、、、、。
随分と便利になったようで、家電の無い生活は想像出来ないほど離れてしまったけれど、埃は昔よりもすごく多いんじゃないかしら。。。
ほんの2代前までは、家電の無い生活をしていたわけで、
それまでは、ずっと無い生活で、畑のものを食べて、地域でとれたものを食べて、日がのぼれば起きて、暗くなればゆっくりと休む生活だったわけで、
5代前のおじいちゃんおばあちゃんも、10代前のおじいちゃんおばあちゃんも、変わらない生活だったと思うと、目まぐるしい変化に適応して来たんだなぁなんて、不思議に思っちゃいます😌
とりあえず、埃は落とした方が良いですよね。
出来れば毎日。。。
拭き掃除も大事ですよね。
モノが多過ぎるかもしれない。。。
床に何もない状態を保つ。
確かに清貧(せいひん・・・貧乏だが、心が清らかで行いが潔白であること。余分を求めず、貧乏に安じていること。)である事こそ、
私欲を捨てて、あらゆるものを欲しがらなければ、気持ちに余裕が出来るかもしれませんね。
あれもこれも欲しい、
あれもこれもしたい、
あれもこれもしなければ、
あれもこれもしなければ、、
あれもこれもしなければ、、、。
かいてるそばからシンドイ😅
欲しい、したい、しなければから離れると、心はおさまります。
この、モノや情報や、サービスが溢れる現代において、私欲や義務から逃れるのは大変かもしれませんが、清めるためには、祓って埃を落とす事からはじめないとなぁと思いました。
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