勝手に抜粋してしまい、申し訳ありません。

 

ただ、調べものをしていたら、そのことについて書かれていたブログ記事を読み、とても感銘を受けたので。

 

。。。。。。。。

「記憶の大切さ。」

というブログ記事です。

 

(一部抜粋)

人間、一番の財産はなにか?

お金、土地というひとは少ないだろう。

健康とか家族と答える人が多いだろうか。

若者なら友人というかもしれない。

 

しかし一番大切なものは記憶ではないか。

 

祖母に優しくしてもらったこととか、父親に怒られたこととか、初恋とか、蜂の子の味、雷の音、ヤギ小屋の臭いといったものだ。

 

これらは、生きていく上での自信になったり教訓になったりするだけでなく、自分の性格を決め、自分を定義するものだ。

 

なくなったら自分が自分でなくなる。

 

最も重要な財産である。

 

最も大切なものなのに、はかない。

 

自分の脳にしか存在せず、年とともに淡雪のように消えていく。残したくても、本人さえ気づかないまま存在を消していく。

 

大切なものは消えやすい。

。。。。。。。。。。

とても染みる文章だなぁと思いました。

 

 

家系図とか、そういう大層なことじゃなくって、

 

自分年表を作ったら、きっと膨大な記憶量だと思います。

 

それこそ生きてきた証です。

 

だのに、だれもそれを見ることは出来ない、本人でさえ気づいていない事もあるんだろうって。

 

 

 

読んだ本1冊とっても、20年前にむさぼるように読んだ本を、今は読もうともしないし(^^;)

 

15年前に一度読んでいたはずなのに、ほとんど読んだ記憶が無い、内容を覚えていないものもあるし(^^;)

 

35年前に読んでもらった本の内容は今でも覚えているし!

 

20年前に手に取った本を、もう一度読む機会があって、意外にその通りにしていたと、『影響』を受けていたことに気づくこともありました。

 

 

 

自分が見聞き(みきき)したものには、理由があるという人もいます。

 

『今』目に留まった、『今』気になった、『今』やりたい。

 

『5年前なら絶対そうなっていない』とか。

 

人は進化していくし、進化し続けるし、自ら止めることは良くないんじゃないかなと思うんです。

 

『今』目に留まって、『今』気になる事が、今までの自分と違うことでも、調べたり考えたりすることは、自由です。

 

 

頭の中は、誰にも見えません。

 

膨大な情報量になっても、自分を信じて、情報処理してください。

 

人生100年時代といったって、

死んでしまったら、あなたの膨大な情報は幕を閉じてしまう。

 

 

残すのは、次世代の子どもだったり、アートや建造物が残れば、その先につなぐことが出来ます。

 

年長者と、若者は、分断されてはいけないです。

 

ちゃんと情報や考え方を引き継いで、間違いなく進化していくように導かないと。

 

 

首長は、村で一番強い人です。

でも、長老は、村で一番の年長者です。

 

長老が長老の責任を果たすとしたら、今まで見て聞いてして来た膨大な情報から、若者たちが苦労なく進んで行けるように、間違いをおかさないように、教え導くことだったんじゃないかなと思います。

 

 

あとで、「聞いておいて良かった」という話が出来る人に私もなりたい。

(今まで出会った先輩、もう何歳も年を越しちゃっていても、当時の先輩を追い越せない気がするのは、先輩がちゃんと年長者として、後輩の私たちを導いてくれたからだと感謝しています。)

 

 

話がそれましたが、

人って、膨大な情報を脳に抱えていて、

宇宙空間並みの広さを自由に使いこなして、記憶を結びつけることが出来る。

 

 

これって、やっぱりすごい。

 

「アレ?」をそのままにしないで、もっともっと勉強した方が良い。

 

 

私ももっともっと勉強します。

 

とりあえず今興味あるのは、

「麹」・「発酵」・「甘酒」です☆

 

それから、

「ビーガン」・「マクロビオティック」の食についても☆

 

あとやりたいのは、

「ヴィーガンケーキ」を作りたい!!超カワイイ!!

 

15年前、マクロビのお店が心斎橋と京都にあって、取引先の設計事務所の方に連れて行ってもらってから、大ファンになったのですが、ほどなくして閉店されてしまって。。。。

 

当時、一人暮らしで、自炊もしいていましたが、周りに魅力的なお店がたくさんあったので、食には困っていなかったと思います。

 

でも、マクロビのスウィーツをいただいた時の感動は、今でも覚えています。

 

「これはなんか違う」

 

今は当時より食生活が変わって、どう感じるか分からないけれど、

確かに私の中に、「マクロビスィーツ」というワードがあります。

 

 

『感動』が、その人を動かす、
そして、『記憶』が、その人を導く。

 

 

そんな気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 


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