私は、18歳〜20歳までの丸2年間、

少林寺拳法に親しんでいました。

 

 

大学に入って、体育会系の部活に入ろうと決めていたのですが、

入部紹介で、「少林寺拳法部 演武」を見た時の感動は、今でも鮮明に覚えています。

 

リアル天下一武道会❗️❗️❗️

(また出ました!ドラゴンボール🐉本当に好きだなぁ😅)

 

 

当時、4回生に、前年世界大会で2位をとったペアが、我が校に居て、まさに天井人でした。

(我が校のスポーツ推薦枠に、毎年強豪高校の主将が代々入っていたので、大会上位は常連でした。)

 

とても会話出来るような雰囲気ではなかったです。

 

厳かで、近寄り難くて。。。

 

 

(でも入部したら、とってもフランクでしたけど〜😆)

 

 

とにかく、こんなん⇩目の前にして、いい意味で震え上がりました!

 

 

 

画像を使っておいて大変恐縮ですが、

こんなもんじゃない、本当に、

もっともっともっとカッコ良かったんです😍😍😍

 

 

 

技が早すぎて、二人が宙に浮いていて(足が数十センチ、地に着いていないように見えました)、そのまま空に向かって上がっていくように見えました。

 

 

そりゃぁもうカッコいいったら無かったです。

少林寺拳法に一目惚れです😍

もう一回見たい!何回でも見たい!!もっともっとやって〜!!!

☝これ、何十人に言ったか分からないほど言いましたが、百聞は一見に如かず、多分伝わり切っていないと思います!ものすごいかっこ良かったんです!

 

 

 

 

その後、先輩に見込まれて、男女で組み、

(先輩は皆信頼に値する方々でした。今で言う『柱』by鬼滅の刃 のように見えました。いろんな部活があると思うのですが、私たちの先輩は、筋の通った先輩達で、いろんなことから私たちを守って、大事にしてくださいました。無残ではなくて、御屋形様にみな従う感じとか、なんか分かります。またアニメ(^^;))

 

 

体格の小さい私(女)が、相方の男子に技をバッサバッサかけて行くという、素敵な構成で、新人戦•関西大会では、どちらも「男子の部」で優勝し🏆(地方大会には「男女の部」がなかった為、「男子の部」でエントリーしました。)、全国大会では日本武道館で「男女の部」に出場しました。

 

日本武道館に立てた事は、私のホコリです。

 

 

前置きが長くなってしまいましたが、

『瞑想のススメ』です。

 

確か、(20年以上前なので、順番などがうろ覚えなのですが)

 

15時 少林寺拳法道場に集合

掃除や着替えをして、

15:15〜 先輩が1人前に出て、部員は等間隔に綺麗に整列して、

国旗と旗に礼

合掌

ストレッチ

数分間の瞑想

鎮魂の復唱※

合掌

それぞれの練習

17時半 解散

 

だったと思うのですが、とにかく、

部室に入る時も、出る時も、

学校内•学食でもキャンバスで見かけても、学校外で先輩に会った時も、気づけば、

 

必ず先輩の正面に参って、足を揃えて合掌し、「おはようございます!」「失礼します!」

 

と、元気よく挨拶していたこの2年間。

そして、毎日瞑想していたこの2年間。

 

私の中で、人生でサイコーに爽やかな澄み切った、青い風が吹いていて、願いが叶いまくっていました。

そして、エネルギッシュでした。

 

 

その理由が、若さだけではなくて、

「合掌」と「瞑想」のせいだったんじゃないかなと、最近思うんです。

 

 

 

今、毎朝太陽に手を合わせるんですが、

手のひらが、数秒間でも、すごく温かくなるのを感じます。

 

瞑想ヨガを通して、また、去年から流行の呼吸法(お腹の中まで空気を入れる)を実践するにあたって、どうやらやっぱり瞑想って良いぞ。

 

って感じます。

 

今、習い始めたアロマの先生も、毎月家族みんなで瞑想をするそうで、ご家族みんなすんばらしいです⭐️

 

私もいずれ家族で瞑想出来たらなぁ🎵

 

 

 

 

※鎮魂(ちんこん)とは、人の魂を鎮めることです。

少林寺拳法には、4文字熟語に込められた意味を覚えて声に出す、鎮魂行というのがあります。

 

以下、多数引用させていただきました。・・・・・・・・・

 

少林寺拳法とは、

中国の少林拳と一緒と思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、全くの別物です。

 

終戦後の1947年、香川県の創始者、宗道臣(そうどうしん)氏がはじめた、日本発祥のまだ新しい武道です。

 

「力の伴わない正義は無力、愛のない力は暴力」とし、その基本に「力愛不二(りきあいふに)」という言葉を掲げています。愛と力、この二つが調和統一された状態こそ人間生活の思想や行動の中心であるべきという考え方です。この教えのもとに集まった拳士たちが、「自他共楽」の思想と共に技法を学ぶのが少林寺拳法です。

 

勝つことが目的ではなく、技法を学ぶことで勇気と思いやりと正義感を持った本当に強い人間を育て、培った強さを他人や社会に役立てさせる、それが少林寺拳法の神髄なのです。

 

ちなみに、少林寺拳法の昇格試験(昇段・昇級試験)では、さまざまな教えに関する筆記試験や宿題の提出があります。つまり、単に少林寺拳法の技術だけあれば受かるのではないところが、ほかの武術と違うポイントのひとつでもあります。

 

少林拳はかなり実戦的で、カウンターで急所攻撃をし戦意を喪失させたところに追い打ちをかける連続技など、突き詰めると殺人術レベルの技があります。

 

少林寺拳法は殺人のための拳ではなくあくまで制圧のための拳であり、人を活かす術なのです。敵の攻撃を防ぎ、敵の戦意を喪失させ戦いを終わらせるための少林寺拳法の技法は、護身の技術。強者になるための攻撃テクニックではないのです。

 

また、1人で修練するほかの武術とは違って、組手主体で2人で行うところも、少林寺拳法の特徴です。

 

 

このように、私も入部した時に教えてもらったことは、「主守攻従」攻めるのではなくて、守ることでした。

 

 

私の同期に、細長い、体重も軽い男子がいました。

 

「絶対私の方が強いわ〜」

と思うような男子でも、

先輩の指示で、「後ろからはがいじめにするから、抜けてみろ」と言われたら、全く抜けられないんです!

 

先輩:「まずは、逃げろ。弱そうやと思っても、男は女よりも力が強いんや。色々しようと思う前に、とにかく変な奴からは逃げろ。

でも捕まったら、逃げる方法を今から教える。」

 

と、はじまりました。

ウチの先輩の教えはじめはこうでした😊

なにも知らない私たちに、過信してはいけないことと、護身術の大切さを教えてくださいました。

 

なので、型を練習する時には、寸止めにしますが、「キンテキ」などの急所攻撃も教えてもらいました。

 

なので、少林寺拳法は空手などの勝ち負けを決める武術ではありません。あくまで護身術です。

 

 

『剛柔一体』

剛法•••突きや蹴りなど

柔法•••投げや関節系の技

両方を修めるのも、少林寺拳法だけの特徴だそうです。

 

 

自然の法則を利用した方法で、原理を理解した上で技を習得するので、とても面白いです。

関節技や、重心のあり方•不安定さを理解して実践するので、面白いほど大きな人をクルリと倒せます(^^)

そして、原理がきちんとあるので、先輩方も筋を通して教えてくださるので、とても和気あいあいとした部でした😊

 

 

少林寺拳法部にいれた2年間は、私の財産となっています。

 

もっともっと、合掌と瞑想の良さが、広まると良いなぁ。

 

 

日本人よ、目覚めよ♪

 

(私の体験談と共に、説明の細かい部分は、「少林寺拳法」と検索した中から、いくつかの記事を引用させていただきました。お許しいただけると幸いです。)

 

 

カテゴリー: health健康

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