それぞれの考え方、

家族構成があると分かった上で、ウチの場合なので、ひとりごとです。

 

 

先の記事で、

ある人は私に「子どもと離れて、仕事したり、もっと上を目指せ、自分のしたい事をしたら良い」と言います。

 

それに反発心が多少なりともあると言うことは、

私も意地になっているところがあるのかも。

考えてみよう。

 

 

でも、「そうですね〜」と言う気持ちにならないのは、ちゃんと私が選択して、今ここにいるからかなと思います。

 

 

昔から「過保護は良くない」「可愛い子には旅をさせろ」色々言われています。

 

 

私の中にも、大元に『自立』があります。

 

『ひとに頼ってではなく、自分で生きよ』

『自分の身は自分で守る』

と思って生きて来ました。

娘にも、少しずつ教えています。というか、私の大本命の考えなので、言葉の節々に出ていると思いますが😅

 

で、その為に必要なのは、

『愛嬌』と『プライド』だと教えこまれて生きてきました。

 

 

確かに私は、3歳で弟が出来たこともあって、母親離れが早かったです。

(娘は一人っ子なので、ママを一人占めでき続けている点が、私とは異なります。)

 

団地に住んでいたので、年上から年下まで友達や、近所のおばちゃん達と、現代よりも、もっと密な関係があったと言えます。

なのに、誰もいない公園とか基地で、1人でも遊んでいた記憶があります。

 

 

私は、実母ではなくて、お隣のおばちゃんの愛情をたっぷりと受けて育ちました。

 

 

「実母は弟のもの」だったので、育児ノイローゼが結構長かった母とは、大人になるまで、一緒に出掛けた思い出は少ししかありませんでしたし、自分のことは自分で決めて、進学先も留学する事も、就職についても、なにも相談ではなく、決定報告?みたいな、それが当たり前だと思っていました。

 

私は父と出掛けることが多くて、父とはよく話しました。でも、父にも進路や就職について聞こうとは考えませんでした。

 

なに不自由なく育ててくれて、中学生くらいまでは、毎晩4人揃って夕食を食べていたし、不満は無いですが、割とみんな自立していました。べっとりファミリーではなかった。

 

 

それが、「早い親離れ」で得たスキルなのかわかりませんが、私はよく一人で泣いていました。

 

イジメとかはあいませんでしたし、何かあっても負けへん!という気持ちが強かったし、思考力も高かったと思います。

が、一人で本当によく泣いていました。

 

 

先程の、隣のおばちゃんの話に戻りますが、

隣のおばちゃんは、お兄ちゃんが4つ上と7つ上に居て、おじちゃんと4人家族でした。

 

おばちゃんは昔幼稚園の先生をしていて、子供ができてからは、ずっと家で内職をしていました。

 

いつ行っても、内職をしていました😁

ずーっと内職していました。

 

で、私の家の鍵を、おばちゃんに預けていたので、ウチが引っ越しする小学2年生まで、放課後お母さんが家に居なかったら、おばちゃんに鍵を開けてもらっていました😊

 

(今では考えられないかもしれないけれど)

 

で、おばちゃんは、赤の他人の私を、本当の娘のように慕ってくれて、

いっつも座ってるおばちゃんの、おっきなおっぱいにグーーって抱き寄せて、「○○ちゃんが、団地で一番可愛い💕」って言ってくれていました😁

 

小さい私には、団地が世界の全てだったので、それほど嬉しい言葉は無かったです☺️

 

階段掃除で、箒の使い方を教えてもらって、

おばちゃんの飼ってた文鳥で、動物の温かさと命の大切さを教えてもらって、

おばちゃんの借りてた畑にいく道すがら、交通マナーを教えてもらって、

その畑では、野菜の収穫を手伝って、

4つ上のお兄ちゃんは、小学校も一緒だったので、かなり目をかけてもらっていたし、

お兄ちゃんが生徒会だった、応援団長だった、運動も勉強も出来た、エレクトーンしてた、公文をしてた、国公立大学に入った、海外を飛び回る仕事についた、結婚は早くて子ども2人。

 

 

(ずっとお隣に住んでたら、私の頭の出来も、もっと良かったんじゃないかしら😅とりあえず、小学校女子初の応援団長までやって、その後の影響は薄いんだけれど)

 

 

とにかく、おばちゃんからの愛情は信じられないほど多く、小さな私の体に沁み込んでいました。

 

 

それで、なのか分からないけれど。

私は今までの膨大な経験と情報から、身を持って、

 

「子どもをギューして、世界で1番大好きって想って、言って、処世術を教える。」

(しょせいじゅつとは、生きてゆく上での巧みな世渡りの方法を指す言葉です。 社会を生きていく上で状況に応じた言動をすることで、より良い処遇を得るためのであるといえます。 仕事で成果を出すことは当然ですが、世渡りの上手さが必要な時もあります。)

 

ことの重大さを、私は感じているので、

何度も書いていますが、3歳まで離れるつもりは無かったし、保育園に入れるつもりも、学童に入れるつもりもありませんでした。(おばちゃんを見ていての教育方針。無論、我が家もそうだったんですが。。)

 

 

遡って言えば、「完全母乳」にしても、なんの悔いもありません。

 

あの時も、「粉ミルクにした方が楽よ」「1歳までには乳離れしないとおかしいよ」と、色々言う人が居ましたが、

その度に気持ちを揺さぶられて、メンタルが弱りましたが、卒乳まで完全母乳で育児出来たことは、母子ともに本当に良かったと思っています。

 

 

今思うのは、粉ミルクをススメて来た人は、もしも私が「母乳でないとダメよ!」なんて言ったら、どんな気持ちになるんだろう?

いや待てよ、そういう事を言われて嫌な思いをしたから、仕返ししたい気持ちがあったりするのかも?

いや、本当に便利だから勧めてくれてるのかもしれない。

 

 

いや〜、おっぱいの方が楽でしょう〜😅

ぶるんっと出したら、すぐにどこでもおっぱいあげられるんだから。

 

話が噛み合わない時は、相手の立場になって考えるのは当然です。

 

そちらの正義があると思います。

 

 

ただ、人のやり方を否定するのは、品や思いやりがないように思います。

自分の言いたい事だけ言って、それが為になる事ならまだしも、「言い捨て御免」って、やっぱり品があるとは言えない。

 

 

 

そういう人には、言っても仕方ないかもしれませんね。

そういう人に限って、「この人には言えるけど、この人には言えない」とか、人によって、思ってることを言ったり言わなかったりする。

 

私は、おかしいと思ったら、誰でも同じように言います。

言ってはいけないことは、誰でも言ってはいけないんです。

自分を守るプライドは、ここで発揮されます。

自分を大事に思わない人からは、しっかりと離れる必要があります。

 

 

 

 

やっぱり、言葉には注意しないといけない。

 

こういう事があると、思うのです。

 

 

そして、自分の考えに柔軟性を持って、

メンタルやられないように、しっかりと自分の足で立っていようと思うんです。

 

 

おばちゃんが教えてくれたみたいに。

『自分の身は自分で守る』

『自分のことは自分でやる』

『挨拶をきちんとする』

『にっこり笑顔』

『叱る時は叱る』

『大人が子どもを守る』

『自給自足』

『お掃除を上手にする』

 

 

おばちゃんのこと書いた記事

30年前の教師と生徒の関係

 

 

 

 

 

カテゴリー: family

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