☆1つは、奇跡など全く存在しないかのように生きること
もう1つは、全てが奇跡であるかのように生きること
★シンプルで控えめな生き方が、
誰にとっても、
心にも体にも最善であると信じている
☆人の価値とは、得たものではなく、与えたもので測られる
★愛とは与えることと許すこと
与えるとは、見返りを求めないで与えることで、
許すとは、無条件で許すこと
全て、アインシュタインの言葉だそうです。
アインシュタインは、私たちは一人一人が小さな愛の発電機を持っていて、
見返りを求めない愛の力を動かせば、
(アインシュタインによれば、)愛のエネルギーは光の速度の二乗なので、なによりも愛の力は強いんだ。
と言っているそうです。
E=mc2
世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で大きくなる愛によって獲得することができる
さらに、愛には元素がないため、愛こそが宇宙に存在する最大のエネルギーであるという結論にいたった
と。
愛を、LOVEと考えるんじゃなくてね。
愛情とか、親の愛とか、感謝とか、
考えようと思うものじゃなくて、
感覚的に湧いてくるようなもの。
それは確かに、早い気がするなぁ。
それってわかる?
最近知ったんだけれど、「これ位したら、これ位」という基準が合わない人がいて、それが悪いとかじゃなくて、
でも、その人に対して、そう思っている人がたくさんいる事に気づいたときに、
「この人は愛の重さを頭で考えているタイプなのかもしれない」って。
分かりやすく言うと、損得勘定・せこい・ケチ。
そういう人なので、それはそれで、その人の生き方だとおもいます。
だれも、それを変えようなんて思いません。
『愛』といっても、人それぞれに、思っていることは違うでしょうし。
おにぎり一つ分の愛だって、その人にとって『最上の愛』だと言えば、そうなるし、
それでは足りないと思う人の、『愛』の大きさは、
🍙一つ分だった人の想像する、その人も、きっとおにぎり一つの愛を『愛』だと思っていて、2人の『愛』の大きさを比べながらいちいち話さないわけで、
お互いの『愛』の大きさは、自分が思っているものとは違うかもしれないと思うことは、必要かもしれません。
だから、アインシュタイが娘に当てて出した手紙に書かれた『愛』の方程式を、私の『愛』でイメージすることは出来ても、他人のイメージと同じかどうかは分からないわけで、
アインシュタイの言いたかった『愛』って、こういうものだろうなぁって想像することは出来ても、絶対同じとは言えない。
でも、今まで生きてきて、同じように思う人がいた、コレはこれが一般的、なんて話が成り立ってきて、だいたいはみんな同じ方向を向いていると信じたいけど。。
はじめて会う人とか、
他のことは話が合うのに、『愛』についてだけは違うね~と思う人がいたり。
でも、宗教とかをぶっ飛ばしても、最終的に残るのは『愛』だったりして、
宗教によって、『愛』の形が変わるとか、おかしな話で、『愛』を私的に扱っちゃいけないと思う。
みんなの『愛』が、本来の『愛』が、分からないと、いけない時代に『今』いるのかなぁとか、思ったりします。
0件のコメント